大学にいる時間の大半を学食で過ごす久瀬の周囲には、暇を持てあました学生が集まってくる。広く浅い関係で、プライベートには踏み込まない。奇妙な居心地の良さが久瀬の回りにははあった。
「来週のゼミ、オレ発表あるんだよな」
スナック菓子を摘まみながら誰かが言う。がんばれーと気楽な声で応援された学生が、おーと返す。それから教授の愚痴を言い始めたのを皮切りに、やれ課題が多いだの、古い紙の本で調べるのが面倒だの、場は愚痴大会の用を呈した。
「玖恩は、学部どこだっけ」
最近、久瀬の回りに顔を出すようになった玖恩が黙っていると、日生が話を振った。久瀬は玖恩に視線を向けた。
「生命工学部だけど」
この大学の中で、もっとも偏差値が高いとされる学部だ。日生がヒューと口笛を吹く。
前世紀には医学部と呼ばれていた学部であり、医学科や薬学科などの医療系ははもとより、農学科や畜産学科、食品科など幅広い分野を擁する学部である。
「学科は」
何気なさを装って久瀬が問うた。半袖のシャツから出た腕にはガーゼが張られている。
「……食物生産科、専攻は代用食品」
「培養肉とかの、アレ」
日生の質問に、玖恩は頷いた。
百年ほど前に、アジアの一部地域で初めて食品としての販売が承認された培養肉は、この三十年で急速に発展、普及した。今では食肉の六割、家畜の肉であると偽装されたものを含めれば八割近くが培養肉である。
「じゃあ、久瀬っちと似たようなことやってるわけぇ」
間延びした口調は紀遥だ。
「久瀬っちは再生医療で人体組織の培養をやってるでしょう。二人とも頭いいんだあ」
「まあ、培養したものを食べるか生かすかの違いかな」
それほど単純な違いではないが、久瀬は今は髪がピンクに染められている紀遥の頭をポンポンと軽く叩いた。久瀬、玖恩、日生、紀遥以外の学生は、もう別の話題で盛り上がっている。
「その割には授業も研究室もあんまり行っていないみたいだな」
医学系の学科の忙しさは、前世紀から変わっていない。それなのにと玖恩に指摘された。
「行ってない訳じゃ無いよ。一日に二コマぐらいしかないだけ」
「医学系の三年だろ。専門始まったばかりじゃないのか」
「ああ、そっか。玖恩は知らなかったっけ。久瀬は一般生じゃないんだよ」
「うん。久瀬っちはね、早期履修生なんだ」
へへへ、となぜか紀遥が自慢げに言う。
早期履修制度とは、中等教育を受けるべき年齢で、大学の授業を受け、単位認定される制度である。そこで取得した単位は正規のものとして扱われる。通常は教養科目を先に済ませるにとどめることが多いが、久瀬は専門課程の単位も制度を使って取得していた。
「だから去年から研究課程に進んでたんだよね」
「それで自分の専門の研究だけしてればいいわけか」
納得した表情で玖恩が久瀬を見た。
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